組合長が長年ためてきた記録ブックを、少しずつ記事にしていきます。一枚目は、いまから約70年前、昭和32年頃の子吉川で行われていた鯉漁の記録です。
当時の記録
旧本荘市(現在の由利本荘市)を流れる子吉川では、当時「鯉追い捕獲」と呼ばれる漁が、毎年時期を決めずに行われていました。冬の子吉川の鯉は身が締まって味がよく、ほかにくらべるものがないほどの旨さだったと伝えられています。
漁のやり方は、次のようなものでした。
- 何隻かの川舟が組になって川へ出る
- 棒で川底を叩き、鯉を追い立てる
- 追い込んだ先に張った網で捕らえる
記録に残る一枚には、川舟のへりに身を乗り出して網を手繰る人たちと、舳先で長い竿を立てて川底を突く人の姿が写っています。曇った冬の川面に、舟と網だけが黒く浮かんでいる。そういう写真です。
一人ではできない漁
この漁で目を引くのは、一人ではまったく成立しないという点です。舟の位置、川底を叩く間合い、網を上げるきっかけ。どれかひとつ呼吸がずれれば、鯉は網の脇を抜けていってしまいます。何隻もの舟を出すということは、それだけの人手を集められる関係が、日頃からその集落にあったということでもあります。
「毎年不定期に」というのも、いま読むと味わい深いところです。日取りを先に決めるのではなく、水の具合を見て決める。川の状態が先にあって、人の予定は後からついていく。漁とはそういうものだったのだと思います。
いまも続いていること
そしてこの記録がおもしろいのは、70年前の漁が、いまも子吉川で行われているという一点です。道具も暮らしもすっかり変わったのに、舟を組んで川底を叩くという手順だけが、そのまま残っている。誰かが意識して守ったというより、この川で鯉を獲るにはこれがいちばん理にかなっていた、ということなのだと思います。
当時と違うのは、川から獲るだけでなく、川に返す仕事が加わったことです。組合では2025年10月にも鯉の稚魚放流を行いました(鯉の稚魚放流、未来へつなぐ小さな命)。昭和32年に川底を叩いていた人たちの先に、いまの子吉川があります。
組合に残る記録を、これから少しずつ紹介していきます。当時の写真やお話をお持ちの方は、ぜひお知らせください。この記事にも追記していきます。
出典・参考
- 写真集所収「子吉川の『鯉追い捕獲』(由利本荘市〈本荘市〉・昭和32年頃)」のキャプションより、事実を要約
- 組合長 保管の記録ブック
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